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引退してしまった昭和職人の『心』を引き継ぎ、私たち二代目平成職人があなたの夢をかなえつづけます。 |
仕上がりに納得できない時は、4度塗りも当たり前、お金以上に自分 たちの納得の行く仕事をする。 |

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--- それが、職人であり、地元職人の使命だと思います。 ---- |



地元職人からの熱い想い |

辛かった創業までの道のり |
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私の父は職人気質の瓦職人でした。 その父も昭和47年に母と離婚しました。
私たちは父に引き取られ父と兄弟7人の生活が 始まりました。
父は体調を崩しており働くのは長男の私と、 次男の弟だけで非常に厳しい生活状況でした。 |

父の他界 |
そんな折、母と離婚後1年で父が他界してしまいました。 とうとう私を含め兄弟7人だけになり途方に暮れました。
親戚を含め周りの方々や市役所の福祉の方が、まだ幼くて働くことのできない 4人の弟と1人の妹は児童擁護施設へ預けた方がいいと勧められました。
当時3男は中学3年生、4男は中学2年生、5男は小学5年生、6男は小学2年生、 長女はまだ4歳でした。
周りから見れば無理もないと、当時を振り返り思います。
そんな状況もあり、私も随分悩みました。 ただ、弟や妹たちが施設の係員に連れて行かれる場面を想像したら、 たまらなく涙が出てきました。
そこで市役所の福祉の人にもう一度相談したら、 「よし!わかった。今日から兄弟7人で暮らしなさい!」と言われ、 さらに「君たちが生活保護を貰わないで誰がもらう!」と言っていただき、 その後(生活保護をいただいていた4年間)も色々と助けていただきました。 |

壮絶な生活 |
生活保護をいただいているとはいえ、子供たちだけでの生活は、それはそれは 大変な毎日でした。
あまりにもきつい日々で何で自分だけがと、父と母を恨み続けました。
それでも月日が経ち三男、四男が就職していき、気がつけば7年の歳月と末っ子の 妹が小学6年になっていました。
そんな生活環境で育ちながら、私自身も少しずつ自立心が強くなり10年間勤めた 塗装店を辞めて昭和54年に創業しました。
28歳のときでした。
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創業してみえてきたもの |
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当たり前のように創業時、仕事はまったくといっていいほどありませんでした。
当然巧輝建装なんて誰も知りませんし、チラシを 配るお金もありません。
私は1軒、1軒自分の足で訪問していきました。
来る日も来る日も断られ、かれこれ1ヶ月を迎え ようとしていました。 |

心も折れかかり、諦めかけたそんな時、 |
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偶然にも弟の学校の先生宅に訪問していました。
そこで、ようやく初めての契約ができました。
弟が力を貸してくれたようで、とてもうれしくなり、 涙が止まりませんでした。 |

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今でも先生宅の前を通ると、優しくきれいな先生の事を思い出します。
そして、そのお宅は私の創業当時の「原点」に戻る場所です。
その後も商売道具のトラックを持ち逃げされたり、仕事をもらっていた会社が倒産して お金をもらえなかったりと苦労もありましたが、私はどんなにお金がなくても職人に 口酸っぱく言い続けたことがあります。
それは、 |

「厳しい単価でも、丁寧さと材料はケチるな!」 |
その言葉を守り続けてくれた職人にも感謝の気持ちでいっぱいです。
おかげさまで今では、大企業のように華々しさはありませんが亀の歩みのごとく 着実に地元の方達にも認められるようになりました。
現在私は58歳になりますが今までの生活を振り返り、「人様の温かさ」、「住む家の 有難さ」に気付くことができました。
家とは人間と同じ生き物だと思います。 外壁リフォーム業は私の天職だと思い、今日も市内のどこかで一生懸命元気よく 働いています。 |

あなたの夢かなえさせてください! |
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これから、塗替えリフォームをお考えで大切な お金を無駄にしたくない方や、専門店しかできない 「感動の塗替えリフォーム」の全てをお知りに なりたい方はぜひ、一度ご相談ください。
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3月1日 |
ホームページを開設しました。これからもよろしくお願いいたします。 |



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